歴史







 

 

 

 

 


 


むかしむかしの、ずっとむかし「手児奈」という美しい娘がいました。上品で、満月のようにかがやいた顔は、都の、どんなに着飾った姫よりも、清く、美しくみえました。

その美しい手児奈のうわさはつぎつぎと伝えられて、真間の台地におかれた国の役所にもひろまっていったのです。そして、里の若者だけでなく、国府の役人や、都からの旅人までやってきては、結婚をせまりました。しかし、手児奈はどんな申し出もことわりました。そのために、手児奈のことを思って病気になるものや、兄と弟がみにくいけんかを起こすものもおりました。

それをみた手児奈は、
「わたしの心は、いくらでも分けることはできます。でも、わたしの体は一つしかありません。もし、わたしがどなたかのお嫁さんになれば、ほかの人たちを不幸にしてしまうでしょう。ああ、わたしはどうしたらいいのでしょうか。」
といいながら、真間の入江まできたとき、ちょうど真っ赤な夕日が海に落ちようとしていました。
それをみて、 「どうせ長くもない一生です。わたしさえいなければ、けんかもなくなるでしょう。あの夕日のように、わたしも海へはいってしまいましょう。」
と、そのまま海へはいってしまったのです。

追いかけてきた男たちは 「ああ、わたしたちが手児奈を苦しめてしまった。もっと、手児奈の気持ちを考えてあげればよかったのに。」
と思いましたが、もう、どうしようもありません。

翌日、浜にうちあげられた手児奈のなきがらを、かわいそうに思った里人は、手厚くほうむりました。

この薄命の手児奈を『良縁成就』『孝子受胎』『無事安産』『健児育成』の女神として、全国でだだ一箇所、真間山に祀ったのは、真間山第七世日与上人で、
文亀元年(1501)九月九日、上人の夢枕に霊神からお告げがあり、感受されたことから、爾来産み、育て、生きる素晴らしさに歓喜する女神として多くの信仰を集めています。